母親に優しくなれないわけを考えてみた

母親に優しくなれないわけを考えてみた

先日、母に対する口調がキツくなるという話をした。
相変わらず、わたしの言ってることが理解できてるんだかできてないんだか…。

母に対してつい口調がきつくなってしまう件
95歳の母、一時期のような被害妄想的なことは言わなくなったけど、どうなんだろう。やはり認知症は進行しているのだろうか。歳とる分だけ進行するよね、たぶん。耳が聞こえにくいのは放っておいて治るわけもないの…

大きな声で何度も同じことを言うのも疲れるよねぃ。
心の中で「あー、またキツく言っちゃった」とは思うんだけど。
大きな声で優しく言うのは難しくない?

いつも叔母が入所している施設に連れていってくれる従妹がいて、3年ぐらい前にこんなことを書いている。

施設入所とか母娘関係とか、ちょっと考えた日
施設に入所している叔母の面会に行ってきました。今回もまた従妹が迎えにきてくれたので、母の妹と母と4人で行ってきました。叔母の怒りのもと叔母は相変わらずで、開口一番「なんでこんな所に入れられたのか」と言…

自分が母に優しくできないことを親のせいにしてはいけないと思うんだけど、わたしの中にはずっとそんな思いがあるんだなー。

そのことについて少しAIと話をしてみた。
もちろんいろんな原因はあるけど、その一つとして

「子供の頃に親から受けた接し方や言葉遣いが無意識にベースになっていたり…」と言うので、そこを深掘りしてみたのよ。

わたしの記憶の中では、例えばわたしが体調が悪いと訴えた時、小学生の頃は学校を休ませてもらえなかった。
「大丈夫、熱はないから行ける。行ったら治る」と。

中学生以上ぐらいになると、遊ぶばかりしてるからだ、夜更かししてるからだ、などと労られるより責められることのほうが多かった。

あまり自覚はなかったけど、今から考えるとそれって「体調崩した人が悪い」と責められてるようなものだよね。

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弱音を吐くことが許されないような環境にあったと思う。
まぁ、そのおかげでほとんど弱音を吐くことなく生きてきたんだけど。
それがいいのか、どうなのか。

ちなみにAIの意見はこうだ

弱音を吐いた時に「労わり」ではなく「励まし・鼓舞(頑張れ)」で返されていた場合、「相手が弱っている時にどう寄り添えばいいのか」というケアのモデルを家庭内で体験できていません。その結果、目の前の親が弱っていると、どう接していいか分からず、かつて自分がされたように「もっとしっかりして」「理解して」と相手に強さを求めてしまう(=厳しくなってしまう)傾向が生じます。

なるほどねー。
そんな気がするのよ。

今さら95歳の母に育て方がどーのこーの言っても仕方ないのでね。
なるべく穏やかに気長に接するよう努力するよ。

はて、自分の子どもたちにはどうだっただろう。

わたしは自分がしんどかった時に寄り添ってもらえなかったことが多かったので、そうしないように気をつけてたつもりなんだけど。

弱音は吐けばいい、いっぱい吐き出して気持ちを変えればいいという思いでいたんだけど、伝わってたのだろうか。

その答えはこれから徐々に出るのだろう。
怖いな。

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