余命宣告された元夫:楽しかったことを思い出したいけど
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余命宣告された元夫:楽しかったことを思い出したいけど

死を目前にした元夫に対して嫌だったことばかり言ってる自分を発見して、さすがに気分がよくないので楽しかったことを思い出そうとしているのだけど…。

毎年旅行はしてたので、その時その時で瞬間的に楽しかったことはあると思う。

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ただ、出発の準備は全部わたしだし、帰宅後の後始末も全部わたしだもの、楽しい感よりしんどい感のほうが強かった。

ある日、夜11時過ぎまで後始末をしていて、夫はボーッとテレビを見ていたので「コーヒー淹れてくれないかな」と言うと「連れて行ってやったのに、なんで俺がそんなことせなアカンねん」とキレられた。
連れていってほしいとは一言も頼んでないけど。

キャンプに行ってもテントを張るのはわたし。
自分は1人でサッサと釣りに行って日が暮れるまで帰ってこない。

その頃わたしは自宅で電子オルガン教室をしていたのだけど、わたしの仕事の都合などお構いなしに突然「明後日から〇〇に行くぞ」なんて言い出す。
そんなに急に言われると、生徒さん全員に電話してレッスンを休むことを伝えなければならないではないか。

腹が立ったので、その年わたしだけ行かなかったらそれ以来旅行はしなくなった。

楽しいことを思い出そうとしてるのに、結局こんな話になってしまう。
ひょっとしてわたしの記憶に問題があるのか…。

毎日いつ帰ってくるのか、夕飯は要るのか要らないのか、それは小さいことかもしれないけど、3人の子どもを抱えて来る日も来る日もそのことを気にしながら過ごすのにも疲れた。

世の優れた奥さま方は、夫がいつ帰ろうが、夕飯を食べようが食べまいが、毎日きちんと夫の分まで用意して待っておられるのだろうか。
そのことが重荷になったり嫌になったりしないのだろうか。

客観的に見ると、なんでそんな人と結婚したのかってことになるよね。
まぁ、そんな人とは思わなかったから結婚したんだけどね。

元夫はとあるメーカーの営業担当で、わたしはお客さんのような立場だった。
付き合ってる間は、お客さんとして接してくれてたんだろうと思う。
結婚したら「釣った魚に餌はやらない」と宣言されたわ。

わたしは結婚願望はなかったけど、たぶん結婚生活に対する理想みたいなのは持ってたのだと思う。
その理想が元夫のある一言で、わたしの中で本当に砂の塔がサラサラと崩れていくような感覚を味わった。
口の中で砂の味がしたような気がした。

女中のような生活を望んでいたわけではない。

そして、物事に対する受け止め方や感じ方、接し方や対処の仕方、価値観や道徳観、そういうことの違いがだんだんはっきりしてきて、その違いに耐えられなくなったということかな。

ああ、またこんな話を続けてしまった。
お互い相手に対する「リスペクト」が足りなかったんだと思う。

こんなことを考えるのは、わたしが我慢してずっと一緒に暮らしていれば、子どもと父親の関係がここまで酷いことにはならなかったのだろうかという疑問が湧いてくるからだ。

それはわたしが考えても仕方のないことだよね。
父親と子どもたちの問題だよね。
考えないことにしよう。

結局最後まで楽しかった話ができなかったわ。
でも、子どもたちがいることには感謝だ。

子育て時代は紆余曲折、トンネルの中で彷徨ったこともあったけど、子どもたちがいてくれてよかったと思う。
あんまり寄りかかるつもりはないけど、彼らの存在は大きな支えではある。

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