『雨夜の星たち』 寺地はるな
最近気になってる筆頭寺地はるなさん。
今年の本屋大賞にも『川のほとりに立つ者は』がノミネートされている。
こちらは先日図書館に行った時に目についたので借りた本だ。
「夜」とか「星」とかついてるタイトルに弱い。
物語の展開
主人公は三葉雨音26歳。
勤めていた会社を辞め、喫茶店を営む霧島に雇われて「しごと」をしている。
その「しごと」はお見舞い代行。
文字どおり入院中の人の家族の代わりにお見舞いに行ったり、1人で動くのが困難な人の通院に付き添ったりするのだ。
依頼人に対して最初に「あなたが『やってくれ』と言ったことだけをやります。あなたがしてほしいことを察して行動することはありません。」と伝えて、そういうスタンスで仕事をしている雨音。
他人に興味がなく感情移入もしないので、この仕事は自分に向いていると思っている。
そんな雨音への依頼は80代のセツ子を病院へ送迎すること、病気で入院中の70代男性のお見舞い、42歳で独身ひとり暮らしの女性の手術の付き添いなどだ。
雇い主の霧島は何か抱えているものがあるらしいが、自分のことは多くを語らず、雨音にも立ち入ってくることもない。
霧島の彼女リルカは逆に感情豊かで人の心に寄り添おうとしてズカズカ入ってくるタイプだ。
元同僚で会社でいじめに遭い退職した星崎。彼は退職後母親にも告げず失踪してしまう。
雨音自身も母親との関係にわだかまりがあるのだが…。
依頼人や元同僚、その母親、いろんな世代のいろんな境遇の人々とかかわるうちに、雨音に微かな変化が訪れる。
読み終えて
忖度したり人の言葉の裏を察したりするのが苦手な雨音には生きにくい社会かもしれない。
やりたくないことはやらない、言葉の使い方にもこだわりがあるようで、「めんどくさい子」と言われてしまう。
「このような場合、通常こう考えるはずである」にあてはまらない人間だっている。相手がどうしてほしいとか、どう思っているかとか、決めつけるのは嫌だ、という雨音。
そんな雨音がいろんな世代の、いろんな境遇の人と接して少しずつ自分を受け入れていくようになっていってる気がした。
他人の気持ちに寄り添うことはないという雨音だけど、依頼人から感謝されたり、 心配してもらったりすることで少しずつ心がほぐれていっているような…。
40代の依頼人の言葉「建前も言えないような大人にはなりたくないけどね」は雨音にどう響いたのだろうか。
建前ばっかりの大人も困るけど、うまく生きていくのがいいのかどうなのか、それもわからないけど、生きていくのは大変だ。
わたし自身も大っぴらにはしないけど、密かに「やりたくないことはやらない」で生きてきたので、雨音の気持ちもわからないではない。
理解できるところもあるけど、共感できるところも少なくて、でも彼女は変わるべきだとも思わなくて「ふーん」という感じで読み終えた。
ただ、後からじわじわ考えさせられる。
もうこの歳だから「やりたくないことはやらない」でいいと思ってるんだけどね、雨音ぐらいの歳のころはどうだったかなーとか。
それって、ワガママとどう違うんだろう…とか。
「やりたくないことはやらない」でも「やるべきこと」はやらなくちゃいけないよね。
なんかそんなことを考えてしまったわ。
それはさておき、寺地さんの作品には刺さる言葉があるのよねぃ。
その時の精いっぱいが積み重なった先に、今日がある。
p.127
誰でもみんな、なにかしらの後悔はするんちゃう?なにをどう選んでも、どっちに進んでも
p.223
情景描写も美しくてうっとりするわー。
暗がりに降る雨は銀色の針のように、時折光っては真っ直ぐに空と地面とをつなぐ。
p40
これからも読んでいきたい作家さんだ。
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