そうか、あれから30年経ったのか…|恐怖と共に思い出すこと
記事内に広告が含まれています

そうか、あれから30年経ったのか…|恐怖と共に思い出すこと

広告

1995年1月17日早朝、まだ真っ暗な中「あれ、地震?」と思って目が覚めた。
しばらく揺れて、収まるのかと思ったらいきなりゴーッとさらに激しい揺れが来て…。

当時大阪のマンションの6階に住んでいたので、マンションが倒れるんじゃないかと思うほど揺れた。
水槽の水はチャッポンチャッポン飛び散るし。
食器棚が倒れたらどうしようと、両手で押さえつけていた。

今考えると、わたしの力で押さえてても倒れたら下敷きになるだけなのにね。

怖かったけど、幸い我が家は大きな被害はなかった。
マンションも食器棚も倒れなかった。

3月の春休みになって、子どもたちと一緒に実家へ帰ったのだけど、新幹線は動いてなかったので在来線で、それもどこかの駅で乗り換えた記憶がある。

これもまた今から考えると、子ども3人連れてそうまでして実家に帰らなければいけなかったのかって話だけどね。
帰りたかったのよ。

2025年1月17日午前6時49分

途中、電車の窓から神戸の街を見たときはショックだった。
テレビの映像で様子は見ていたけど、実際に目の当たりにすると胸が潰れそうなほどだった。

全くの部外者のわたしでさえそう思うのだから被害に遭われた方はどれほどかと。
慮るのもおこまがしいような気がする。

しばらくは、寝るときに緊急持ち出し袋や靴を枕元に置いたりしていたけど、岡山に戻ってきてからは忘れがちになってしまってるわー。

広告


この日のことを思い出すと、ついでにもう1つ思い出すことが…。

あの日、あんなに揺れていた時に、子どもたちも怯えていた時に、アイツは寝ていた。
わたしが一生懸命食器棚を押さえていた時に、目は覚めていただろうけど、身動きもせず布団の中でじっと寝ていた。

毎年この日が来るたびに、あの怖さとセットで思い出してしまう。
忌々しい。

おっと、また話がヘンなところに行ってしまった。

この地に災害が少ないことに感謝しつつ、緊急時の備えは怠らないようにと心に刻んでおこう。
そして「会いたい人には今会う」「伝えたい言葉は今伝える」のは大切なことだと、あらためて思う。

広告

♫〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
今日も最後までお付き合いくださってありがとうございます ^_^
どうかステキな1日を! 

タイトルとURLをコピーしました