『よむよむかたる』 朝倉 かすみ
物語の展開
喫茶シトロンで月に1回開催されている読書会。
シトロンのオーナーが結婚して引っ越すことになり、彼女の甥である安田がその店を引き継ぐことになった。
安田は作家としてデビューしたが、出版社に届いた1通の手紙により小説を書けなくなっていた。
一方、今年で20周年を迎える「坂の途中の読書会」のメンバーは平均年齢85歳という超後期高齢者たち。
課題本を1節ずつ順番で読み、「読み」と「内容」についてそれぞれみんなで感想を言い合うのだが、なかなか進まなかったり脱線したりで混沌としている。
みんな何かしら体に不具合を抱えている身ではあるが、それでもこの読書会を生き甲斐にして集まってくるのだ。
読書会の裏にあるもう一つの物語、安田が抱えているものも明らかになってくる。
読み終えて
読書会に集まってくる高齢者たちの様子が微笑ましかった。
わたしよりももうひとまわり上の年代の人々の言葉には、いちいち刺さるものがあり肯首しながら読んだよ。
あたくしたちはみんな泣きながら生まれてきた。なぜか?なぜ泣くのか?いろんな人がいろんなことを言っていますが、あたくしが賛同するのは、一旦生まれてしまったら、死ぬまで生きなきゃならないからではないかという考え。ネ?あたくしたちは「その日」が来るまで、どうでも生きていかなきゃならんのですよ。もーなんといいますかネ、生きざるをえないんです。あたくしたちの、このからだは、そうなっているんです。死ぬその瞬間までオートマチックに動き続けてしまうんですネ。これ、永劫不変の真理です。 p.55
若い時にはこういうことを考えなかったかもしれないけど、この歳になると、たまに
生きていくってしんどいな。
と感じることもあるのよ。
ただ生きてるだけなのにね。
病院や病気に対する思いも垣間見える。
「向こうは悪いトコ探すのがショーバイだからネェ」
「あたしがたくらいになるとドッカコッカ悪いに決まってますので」
「知らないば知らないで平気でいられるのにサァ、病気だって言われたらソッチに合わせないばならないと思わさるっしょ」 p88
ずってでも這ってでも行きたいだけサ。みんなと会って、みんなとしかできない話バしたいのサ。ここでしかできない話サァ。なんたかんた言ったって、それがあたしの生きる甲斐なんだワ p.89
読書会を通して見えてくる皆さんの考えとか生き様がじんわり心に沁みる。
作者の朝倉かすみさんは、このように言っている。
わたしは、この「ちいさな集まり」の一員になったときの母が、もともとの母であるような気がした。
母親とか、五女とか、ドコソコの奥さんとかの役割をとっぱらった母というひとが出現したようだった。
へんてこな言い方かもしれないが、そこでの母はたいそうフレ ッシュな老人だった。いきいきと日を輝かせ、みずみずしく笑っていた。
この物語は、そんなフレッシュな老人でいっぱいだった。
読書会の裏にあるもう一つの物語も素敵だった。
安田君の心の中にあった腫瘤も消えて、また書けるようになったようでよかった。
彼の再生物語とも言えるかも。
♫〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
今日も最後までお付き合いくださってありがとうございます ^_^
どうかステキな1日を!